コーポレートサイトにおける「信用」の成立条件

しかし、信用とは何だろうか。
社会規範における信用とは「相手が期待通りに行動すると予測できること」を指す。
言い換えれば、不確実性を減らす情報がある状態とも言える。
ここでの不確実性というのは、将来的な予測が出来ないことである。
予測ができない自由の中では人は不安になる。
ここでの「信用」の定義については、
主体が認知した情報から将来をある程度予測できる状態、とも言える。
企業のコーポレートサイトは、まさにその「判断材料」としての情報を提示する場所として存在する。
どういった情報が信頼に転化されるか?
ここでは、コーポレートサイトにおける信頼に転化される情報について記載する。
まず、結論から述べると信頼が成立しやすい情報はある程度決まっている。
情報量や印象などもあるが、その深層にあるのは「選んだ責任を分散できること」である。
つまり、主体が選択した責任を「判断の根拠」として成立させられる情報であれば良い。
この判断の根拠とは一般的に「社会規範に属しているか」という範疇になるだろう。
その社会規範における単純な二項対立、例えば・・・
1.高い / 安い
2.理解 / 無理解
3.綺麗 / 汚い
といったものが社会規範に基づいて、客観的にそうであると見做せるものになるだろう。
もっとも、その文脈は言語ゲームにおける生活形式にも依存する。
主体によっては、安いものは悪いといった判断にもつながるから、単純に「安いならば〜である」といったものではない。
会社概要や沿革などの情報についても、その企業が存在しているか否かといったものから、創業して何年経過しているか、取引実績はどうであるかなど掲載する。
多くの場合にそれらの情報が多ければ、判断材料として活用できると見做されるだろう。
その深層は、社会規範におけるバイアスによるものだ。
創業年数が長ければ、取引先に大企業があれば、など社会規範に準じた評価基準を適用しているだけに過ぎない。
論理的に解釈すれば、「創業年数が長ければ、信頼できる企業である」など成立しない。
長年の経営においてブランド化されるものもある。
例えば、Appleであれば「先進的なテクノロジー」かつ「UI / UXを考慮したOS設計」といったもので、それ自体が「品質」として社会通念に刷り込まれる。
故に、Appleであれば信頼できる という短絡的な論理が成立するのである。
外観(ビジュアル)と信頼
往々にして人はデザインの良し悪しを評価できない。
デザインとは特定の目的達成を行うための工夫であり、手段であるから、その目的を認知しないものにとってデザインの良し悪しを論理的に説明できる人は、実は多くない。
したがって、ここでのデザインにおけるビジュアルとは「外的評価」につながる。
つまり、主体的に良いと判断しても、それを言語化できるほどの能力を大抵の場合に持ち得ていないのだ。
これは論理的選択ではなく、外的な評価による責任転嫁に近い。
例えば、「デザイン かっこいい」などで検索する。
その中からWebサイトを見る。
しかし、それがなぜ良いのかは言語化できない。
第三者が評価しているという事実そのものが、責任の分散として作用する。
また、UIとしての規範化も重要であろう。
使いやすいUIとは規範化されているものである。
大多数に認知されているUIであれば、第三者や上司などにも説明がしやすい。
これも先に述べたように「責任の分散化」に利用できるのである。
サイトの代替えとしてのSNS
昨今ではSNSを用いて、コーポレートサイトの代替えとする人も多いだろう。
コーポレートサイトを作るには手間や時間もかかる、それをコストとして見る人もいる。
SNSでの情報発信は「BtoC」が中心になる場合が多い。
一方で、コーポレートサイトの場合は、「BtoB」であることが多い。
だから信頼の成立条件もやや異なる。
SNSをコーポレートサイトの代わりにする場合において、その情報の発信は「商品そのもの」である場合が多い。
この商品というのは、料理であれ、美容であれ
「好き / 嫌い」といったものが大半の判断基準を作る。
これ自体が、組織における客観的根拠とはなり得ない場合が多い。
なぜなら、その趣向というのは社会規範とはズレるものになるし、各々の主体によって異なるから、責任の分散がし難いのである。
まとめ
コーポレートサイトは必ずしも必要というわけではない。
しかし、企業の情報を整理し、外部の人が判断する材料を提供する場として重要な役割を持つ。
その材料とは、組織が責任を分散できる材料であれば良い。
選んだことを後悔しないか、選んだ責任を取らされないか、すべては選択できるという自由から生じる不安だ。
この不安を人は嫌がる。
だから保険のようなサービスに需要が生じる。
コーポレートサイトにおける役割とは、情報の提供だけでなく、そういった閲覧者の保険として、何らかの根拠を提供できるかにあるかもしれない。



