まとめ

不満はないのに満たされないとき、どこに立っているのか?

不満はないのに満たされないとき、どこに立っているのか?
大きな不満はない。
生活もそれなりに回っている。
それなのに、なぜか満たされない。

そんな状態に、心当たりはないだろうか。

・この仕事を、このまま続けていていいのか分からない
・やりたいことが、特に思い浮かばない
・転職したい気もするが、理由をうまく言葉にできない

あるいは、同世代が転職した、独立した、昇進したといった話を聞いたり、SNSを開けば、みんな何かに「本気」で取り組んでいるように見えたりする。
本人としては、そこまで切羽詰まっているわけではない。
ただ、このまま年を重ねていくことに、うっすらとした怖さがある。
そんな感覚だろう。

不満はないのに、なぜ満たされないのか

世間ではよく、「満たされる」ための条件として、高収入、やりがい、社会的評価といった言葉が並べられる。
そうした基準が悪いわけではないが、それらを手に入れたからといって、不安が消えるとは限らない。
実際、その手の話は、かなり昔から繰り返し語られてきた。

そして多くの場合、結論は似通っている。
外側の条件だけで、人は満たされ続けることはない。
では、この正体の分からない不安は何なのか。

少し見方を変えてみる。
不安というのは、何かが足りないから生まれるとは限らない。
むしろ、「不便がない」状態だからこそ、立ち上がることがある。

たとえば、橋を渡る場面を想像してほしい。

橋を渡るという目的がはっきりしていれば、やることは単純だ。
前に進めばいい。
けれど、橋の上で「特に目的がない」としたらどうだろう。
立ち止まることもできるし、引き返すこともできる。
極端な話、下を覗き込むことだってできる。

選択肢が増えた瞬間、人は初めて不安を意識する。
これが、「自由」と呼ばれる状態の一側面だ。
何でもできるからこそ、何もしない自分が気になり始める。

他者との比較

そういった状況の中で他者の存在が重なる。
同世代が何かを選び、前に進んでいるように見えると、自分も同じように動くべきなのではないか、という気持ちが芽生える。
人は、完全に一人きりでは自分を測れない。
どこかで必ず、誰かとの比較を通して自分を認識している。

太っている、痩せている、といった感覚も同じだ。
何を基準にそう判断するのかを突き詰めれば、はっきりした答えなど存在しない。
それでも人は、曖昧さに耐えきれず、「一般的には」「普通は」といった境界線を引く。

比較そのものに、本質的な意味があるわけではない。
だが、比較を手放してしまうと、社会はうまく回らない。
だから教育も、評価も、点数も、序列も、ある程度の競争を前提として設計されている。
その中で生きていれば、不安を感じるのは、むしろ自然なことだ。

では、今どこに立っているのか

先の例えに沿えば、
それは「頑丈で、大きな橋のど真ん中」だと考えると分かりやすい。

落ちる心配はない。
引き返すこともできる。
急いで渡り切る必要もない。
ただ、立っているだけだ。

ここで多くの記事は、「趣味を持て」と言うかもしれない。
それは間違いではない。

だが正直なところ、「何を趣味にするか」を考え始めた瞬間、また別の迷いが生まれることも多い。
選択肢が増えると、自由は増える。
同時に、不安も増える。

だから、あえて絞る。
・絵画
・建築
・音楽

このどれかでいい。
理由は単純で、どれも「正解がなく」「上達の速度を競われにくい」からだ。
ただ、それでも「何から始めればいいか分からない」と感じる人もいるだろう。
もし、そこですら足が止まるなら、無理に何かを始めなくてもいい。
代わりに、いま立っている場所に留まる練習をしてみる。
そのための方法として、瞑想はわりと相性がいい。
なぜか?

瞑想のすすめ

瞑想

瞑想は「何かを達成する行為」ではなく、在ることそのものを肯定する行為だからだ。
橋のど真ん中に立っていても、それ自体を否定しなければ、不安は膨らみにくい。

やり方は、驚くほど簡単でいい。

・YouTubeなどで自然音を適当に流す
・柔らかい場所に座り、目を閉じる
・聞こえてくる音を、頭の中でなぞる

これだけで十分だ。
「何も考えない」必要はないし、むしろ考えてしまっていい。
ただ、思考に巻き込まれたことに気づいたら、音に戻る。それだけだ。

姿勢も、楽でいい。
余裕があれば、頭のてっぺんが糸で軽く吊られているような感覚を意識すると、少しだけ身体が整う。
最初は10分程度でいい、長くやる必要はない。

途中で感覚がズレるようなことがあっても、追いかけなくていいし、評価もしなくていい。
瞑想やマインドフルネスは、即効性のある解決策ではない。
ただ、続けていると、不安が「消える」のではなく、「扱いやすくなる」感覚が出てくる。
それで十分だ。

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ちなみに、YouTubeで自然音や音楽を流す場合、
画質は特に高くする必要はない。
音だけを聞くのであれば、4KやフルHDである意味はほとんどないからだ。

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普段は何となく「画質は高い方がいい」と思いがちだが、それは映像を“見る”ときの話であって、耳を使う場面では必ずしも当てはまらない。

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画質を下げれば、通信量も端末への負担も少なくなる。
それで困ることは、まずない。
だから、この用途であれば一番低い画質でも十分だ。

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音はちゃんと届くし、目的もきちんと果たせる。

存在の肯定へ

人間以外の動物、たとえば犬や猫は、他者と比較しなくても存在できる。
それは理性がないからではなく、優劣を持ち込まないからだ。

彼らは、起きたことの責任をそのまま引き受けて生きている。
言い訳もしないし、説明もしない。
人間も、本当はそれができる。

何かを決めなくてもいい時間を、ちゃんと引き受けることができれば、人生は少しだけ軽くなる。
橋の上に立っている今は、その練習期間なのかもしれない。