まとめ

「やりたい仕事をすれば報われる」という考えは成立するのか?

「やりたい仕事をすれば報われる」という考えは成立するのか?
「やりたい仕事をしたい」多くの人がそう考えるだろう。
しかし、その「やりたい仕事」は、本当に自分の意思なのだろうか。

実際には、「やりたい仕事」と言われるものの多くが、社会の中で魅力的に語られている職業である。
映画監督、クリエイター、起業家など、物語として語られやすい仕事は特にそうだ。
つまり、「やりたい仕事」とは、やりたいと思わされている仕事である可能性もある。

なぜなら、それらの多くはまだ経験していない仕事だからだ。
経験していない仕事は、どうしても理想化されやすい。
実際にその仕事をしてみると、想像していた姿と現実の仕事との間に大きな差があることも珍しくない。

人は職業と人格を結びつけてしまう

もう一つの問題は、人が職業と人格を結びつけて考えてしまうことだ。

「私はデザイナーです」
「私はエンジニアです」

こうした自己紹介は一般的だが、本来、人格と職業は必ずしも一致するものではない。
しかし、人は自分を説明する際に、職業という分かりやすいラベルを使う。
その方が社会の中で理解されやすいからだ。

結果として、職業が自分自身であるかのような感覚が生まれてしまう。
しかし、仕事はあくまで社会の中で担っている役割の一つに過ぎない。

「報われる」とは何か

では、「報われる」とは何だろうか。
ここでは分かりやすく、社会的評価や外的な権威を得ることと考えてみよう。

例えば

  • 表彰される
  • 大きな成果を評価される
  • 有名になる

こうした形で社会から認められることだ。
しかし、こうした評価を得られる人はごく一部に限られる。
多くの人は、大きな権威や評価を得ることなく人生を終える。

また、評価そのものも時代や社会によって変わる。
芸術家の中には、生前には評価されず、死後に名声を得た人も少なくない。
つまり、社会的な評価というものは、必ずしも人生の価値を決めるものではないということだ。

外的評価と自分の生き方

とはいえ、現代社会では外的評価から完全に離れて生きることは難しい。
仕事をする以上、必ず誰かの評価が関わるからだ。

問題になるのは、その評価のために自分自身の生き方を見失ってしまうことだろう。
そこで一つの考え方として、社会の中での役割と、自分自身を分けて考えるという方法がある。

仕事は社会の中での役割として行う。
しかし、それを自分自身そのものと同一視しない。

そうすることで、「やりたい仕事」や「報われる人生」といった言葉に振り回されずに済む。

自分の人生の意味は、外側ではなく内側にある

「やりたい仕事ができる人」と「報われる人」は、必ずしも同じではない。

そして、社会的な評価がなかったとしても、それだけで人生が失敗だったとは言えない。
大切なのは、社会の評価だけで自分の人生を判断しないことだ。
仕事は人生の一部ではあるが、人生そのものではない。

そう考えることで、「やりたい仕事」や「報われる人生」という言葉を、少し距離を置いて眺めることができるだろう。

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そもそもタイトルおかしくね?
「やりたい仕事ができる人」と「一生報われない人」

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この二つがそもそも比較できるものではないからねぇ〜