Webはなぜ離脱されるのか? 本でもゲームでもないメディア構造

ここでの離脱とは、最初にアクセスしたページから特定の操作を行わずにサイトを離れることを指す。
Webマーケティングでは「直帰」と呼ばれる行動に近い。
ただし本記事では、必ずしも専門用語に馴染みのない読者も想定し、「直帰」という言葉ではなく、より理解しやすい表現として「離脱」という言葉を用いることにする。
この離脱という行為は、単にユーザーが「興味がない」といった感情的な理由だけで起きるものではない。
Webという媒体が持つ構造そのものが、ユーザーの離脱を前提とした設計になっている。
本記事では、Web以外の媒体と比較しながら、この「離脱」という行為がどのような構造から生まれているのかを簡単に整理してみたい。
Webは書物の延長として生まれた
Webの設計思想は、ティム・バーナーズ=リーによって提唱されたハイパーリンク構造に基づくドキュメントモデルである。
ページ同士をリンクによって接続し、情報を相互参照できるようにする。
この構造を見れば、Webは本質的に「書物の延長線上にあるメディア」と言える。
書物は章や参考文献によって情報同士が結び付けられる。
Webはその構造を、より自由に、より巨大な形で実現したものでもある。
しかし、書物とWebには決定的な違いがある。
それは、ユーザーの主体的な振る舞いだ。
媒体ごとに異なる「主体の役割」
媒体によって、ユーザーの振る舞いは大きく異なる。
書物の場合、主体的な操作はほとんど存在しない。
読者が行う行為は基本的に下記のようなものになる。
- 書物の操作例
- ページをめくる
この程度だ。
一方でゲームはまったく逆である。
ゲームはプレイヤーの操作を前提として成立するメディアだ。
- ゲームの操作例
- 移動
- 選択
- 行動
こうした操作によって体験が進んでいく。
この関係を整理すると、主体の操作量は次のようになる。
本 < Web < ゲーム
Webは書物よりも主体的な操作があり、ゲームほど操作を必要とするわけでもない。
つまりWebは、読むメディアと操作するメディアの中間に位置している。
ファーストビューの情報量は逆転する
興味深いのは、主体の操作量とは逆に、ファーストビューの情報量は逆転するという点だ。
それぞれの媒体のファーストビューを見てみよう。
- 書物の場合は表紙である
- タイトル
- 著者
- 簡単な説明
基本的にはこれだけだ。
- ゲームの場合はさらにシンプルになる
- タイトル
- 操作メニュー
プレイヤーは操作することで世界を理解していくため、最初に多くの説明は必要ない。
しかしWebは違う。
多くのWebサイトのファーストビューには次のような要素が並ぶ。
- Webサイトにおけるファーストビュー
- ロゴ
- キャッチコピー
- 簡単な説明
- ナビゲーション
- お知らせ
つまり情報量は、ゲーム < 本 < Webとなる。
主体的操作はそれほど多くないにも関わらず、Webは最初に多くの情報を提示する必要がある。
なぜだろうか。
広告としての媒体の形
Webサイトのファーストビューの形は、書籍で言えば帯、ゲームで言えばパッケージのような役割を持っている。
つまりそこには、ユーザーへ訴求するという文脈が含まれている。
書籍の場合、帯や裏表紙は内容を紹介する「広告」の役割を持つ。
ゲームの場合も同様で、パッケージやタイトル画面はその作品の魅力を伝える入口である。
しかしWebの場合、この構造が少し特殊になる。
書籍やゲームでは、広告と作品は基本的に分離している。
帯やパッケージは作品を紹介するためのものだが、作品そのものではない。
一方Webでは、広告と媒体そのものが一体化している。
ファーストビューはユーザーに価値を伝える広告的な役割を持ちながら、同時にそのサイトの入口として機能する。
この「広告と媒体が同時に存在する構造」が、Webというメディアの面白さでもある。
名刺代わりのホームページという発想
当社はWebサイトを制作する会社であるため、顧客から次のような相談を受けることがある。
「名刺代わりとなるホームページがほしい」
この言葉が示しているのは、Webサイトが持つ社会的な役割である。
名刺というのは、相手に自分を紹介するためのツールだ。
同じように企業サイトも、ファーストビューでの訴求下層ページでの詳細な紹介
という構造を持つことになる。
つまりWebサイトの多くは、広告的な入口と、情報としての本文が組み合わさった構造として設計される。
そしてこの形は、個々のデザイナーが決めているというよりも、社会の中で徐々に共有された「Webの規範」に近いものでもある。
Webは「離脱できるメディア」である
また、最初に多くの情報を提示する理由の一つとして、コストの有無にある。
書物やゲームは、基本的に購入という行為を伴う。
ユーザーは金銭というコストを支払った時点で「選んだ」という責任を持つことになる。
多少内容が難しくても、ある程度は読み続ける、遊び続ける。
しかしWebには基本的にコストが存在しない。
ページを開くことに金銭は発生しない。
ユーザーはいつでも簡単に離脱することができる。
この構造は非常に大きな意味を持つ。
Webでは
閲覧 → 評価 → 離脱 という行動が瞬時に行われる。
その結果、離脱という行為自体が、Webサイトの良し悪しを測る重要な指標となる。
直帰率や滞在時間といった指標が重視されるのも、この構造によるものだ。
職業評価への接続
Webはユーザーが簡単に離脱できるメディアである。
そのため価値の評価も瞬間的になりやすい。
しかしこの構造は、別の誤解も生み出している。
それは「簡単に閲覧できるものは、簡単に作られている」という錯覚だ。
実際にはWebサイトの設計には、情報構造、導線設計、ユーザー行動の分析など、多くの設計思想が含まれている。
しかしそれらは完成物からは見えにくい。
Webという媒体の構造そのものが、制作の価値を見えにくくしているとも言える。
即時的な報酬を求めるインターネット
この「離脱できる構造」は、コンテンツの性質にも影響を与えている。
動画コンテンツがその典型だ。
無料で視聴できる動画は、ユーザーがいつでも視聴をやめることができる。
つまり
無料 → 離脱自由 → 即時評価
という環境が生まれる。
この構造の中では、コンテンツは次第に即時的な情報や報酬を提供するものへと変化していく。
・強いサムネイル
・短い動画
・冒頭のフック
こうした要素が重要視されるのはそのためだ。
インターネットが作る新しい習慣
インターネットは単なるメディアではない。
その構造は、ユーザーの行動習慣そのものを変えていく。
・短いコンテンツ
・即時的な結論
・素早い情報消費
こうした振る舞いが日常の規範になっていく。
しかしここで、もう一つの現象が起きている。
それは、その速度に疲れる人が増えているということだ。
Web制作は「速度」を設計する仕事
インターネットは高速なメディアである。
しかし、人間の理解や思考はそれほど高速ではない。
その結果、即時的な刺激に疲れを感じる人も現れる。
Web制作とは単にページを作ることではない。
ユーザーがどのように情報に触れ、どのような速度で理解していくのか。
その関係を設計することでもある。
Webは書物でもなく、ゲームでもない。
情報の中を移動する、新しいメディアなのである。



