まとめ

なぜ人は金持ちを嫌うのか? 成功社会が生む「金持ち嫌い」の構造

なぜ人は金持ちを嫌うのか? 成功社会が生む「金持ち嫌い」の構造
以前、とある芸能人が「日本は金持ちを悪者にする文化がある」と述べていた。
それが子どもの教育にも影響する、故にそのマインドを変えるべきだと。
一方で、本当に日本は金持ち嫌いなのだろうか?という問いも生じる。

実際のところ、「金持ちを悪者にする文化がある」というのは日本特有のものではない。
むしろ、西洋においては日本以上に、金持ちを悪者にする文化が強いのである。
これは歴史的な構造によって、説明することが出来る。
本記事では、そういった事柄について、難解な言葉を用いず解説をしていきたい。

人はなぜ成功者を嫌うのか?

人が成功者を嫌う理由として、多くの場合「嫉妬」が挙げられるのではないだろうか。
実際、「権威を持つ」や「金を持つ」というのは、アイデンティティとしては利用しやすいし、成功者という物語も付与できるだろう。

一方で、なぜ「嫉妬」という感情や、「目指すべき理想」といった社会的通念が生じたかについて議論されることは少ない。
これは日本という文化や環境が、西洋史との接触が希薄であると見做されること。
または、西洋の宗教観への理解、認識が乏しいことなど挙げられる。
これらについては次節にて述べることになるが、ここでは「人間の感情の揺らぎ」について説明したい。

まず、成功者、富裕層を観測したとき、人はおおよそ二つの反応をする。

① 近づこうとする
② 価値を否定する

多くの場合において、①もまた「選ばされている」のだが、今回は触れない。
今回、触れるべきは②である。

端的に述べると、これは「ルサンチマン」と呼ばれる。
自身が成功に近づくより、その構造(価値観)そのものを反転させ、成功を悪だと決めつける方が楽だからだ。
弱者が強者に対し抱く「憤り・嫉妬・無力感」に基づく恨みや憎悪のことを指す言葉だ。

なぜ成功は価値になったのか?

まず語るべきはその因果についてなのだが、
中世における宗教改革者である「ルター」から「プロテスタント」の発生、「カルヴァン主義」の登場、「予定説」までが主たる理由になるが、長くなるから省く。
近代になるとウェーバーの有名な話である「プロテスタント倫理と資本主義の精神」に向かう。
これらについて気になる方は、各々調べてみるといいだろう。

こういった西洋史における価値観を簡単に書くと、
予定説では「神が最初から、救われる人と救われない人を決めている」と言ったものになる。
宗教観における「地獄」を避けるために、人々は救いを求めることになるが、救われているという根拠が無かった。
一方で「勤勉、禁欲、労働、成功」といったものは、救われているという根拠の代替になった。
救われている人 => その証拠として成功する といったものだ。

産業革命以降、科学の発展や自然現象の特定など「神」を人々は信じなくなった。
いや、表面上は信じていたのかもしれないが、その根拠となるものが科学によって薄まっていった。

神 → 救済 → 成功 という認知から、宗教が抜け落ち
成功 → 正しい人生 という社会認知だけが残っていった。

日本においては第二次世界大戦後、GHQの介入以降、西洋史におけるこういった概念を輸入することになる。
だからこそ、こういった宗教的因果を知らない日本人にとって、ごく自然な価値観として現在に至るのかもしれない。

現代社会への接続

ここまで述べてきたように、現代社会にはプロテスタント倫理の「結果」だけが残っている。
神は消えたが、成功への義務だけが残った。
そして、社会的に成功することが「目指すべき理想」へと転化していくのである。

近代においては、他者を観測することは難しくはない。
インターネットにおけるSNS、広告、メディア、様々な媒体を通して「成功者」を観測する。
そして、この成功者の母数は多くはない。多くは勤勉な労働者だ。

そして、大多数が視聴するメディアもまた、そういった構造を見せることで、より大衆に受け入れ易いものとなる。
映画にせよ、テレビにせよ、メディア記事にせよ、収益化するためには大多数に好まれる演出にする方が良いだろう。
「金持ちは悪である」と直接語られることは少ない。
しかし、そうした図式が繰り返し描かれることで、やがてそれが社会規範のように振る舞うようになる。
これは日本だけではなく、諸外国も同様の構造だ。

一方で成功者というのも、ある意味ではその「社会的認知」をアイデンティティとする者もいる。
可視化が増える現代において「成功していると見做せる自己」を演出しなければならない。
見栄を張り、虚像のアイデンティティを守るその姿は、どこか考えるものもあるのかも知れない。

まとめ

「金持ちを悪者にする文化がある」というのは、歴史的な因果を遡れば、単純な嫉妬だけでなく、幾つかの要因によって形成されたことになる。
現代社会において「金持ち嫌い」をやめようという話は、一見もっともらしく聞こえる。
特に日本という文化や環境であれば、西洋史の関連も気づき難いものだろう。

しかし、そういった感情は突然生まれたものではない。
成功を価値とする社会がある限り、成功できない者との間に感情の揺らぎが生まれるのは、ある意味で自然なことでもある。
重要なのは「金持ちを嫌うな」と教えることではなく、なぜその感情が生まれるのかという構造を理解することなのかもしれない。

結果だけを見せて、それについて良し悪しを語るのも良いだろう。
だが、構造の理解をすることで、人間社会における各々の問題について、広い視野で言及することもできる。
どちらが教育において重要なのかは、ここで断言するつもりはない。
ただ少なくとも、私は後者の姿勢を支持したいと思う。