デザインはどこで区切られるのか、平面構成における分節と規範

デザインはどこで区切られるのか、平面構成における分節と規範
まず、デザインとは何かと問えば、私は手段であると捉えている。
ここでいう手段とは、特定の目的に対して何らかの手法を用いる段階で生じる操作、という程度の意味で使っている。
この操作はしばしば「見た目」や「装飾」として語られるが、実務上はむしろ、情報をどの単位で区切るかを決める行為に近い。
デザインを道具として扱う考え方もあるが、本記事では前提の揺れを避けるため、手段という位置づけで統一する。
なお、ここでは平面におけるデザインに限定して述べていく。

分節されていない情報は扱えない

人は連続したものをそのまま扱うことができない。
何かを理解するためには、どこかで区切りを設け、有限の単位として扱う必要がある。
例えば「見出しはどの程度の大きさか」と問われても、大きさという概念自体は比較によって成立する。
絶対的な大きさというものはなく、常に何かとの関係によって決まる。
そのため、デザインにおいては通常の文章をAという単位として扱い、それとは異なる役割を持つ要素をBという単位として扱う、といった整理が行われる。
ここでいうAやBの設定は、後述する規範によって調整される。

段落、余白、グループ、見出しといった要素は、この差異を視覚的に置き換えたものと言える。
差異が存在することで、情報は集合として認知される。
人は複数の要素の関係から文脈を推測する。
数、大きさ、色、位置といった差異を手がかりに、どの情報がどのまとまりに属するかを判断している。

ここで重要なのは、制作の段階で必ずしも明確な意図が言語化されているわけではないという点である。
多くの場合、意図は制作後に説明可能な形へ整理される。
したがって、制作行為と意図の言語化は分けて考えた方が理解しやすい。
デザインの現場では、まず差異が配置され、その後に関係が説明されることが多い。

差異は意味の差異として読まれる

多くの人にとって、先に述べた差異は情報のレベルとして認知される。
文字列の短い大きな文字は、文字列の長い小さい文字より読まれやすい。
前者の場合、表示されるブラウザ枠内の占有率も高く、文字という複雑な記号の視認性もよい。
さらに文字列が短いことで思考コストも低い。
こういった複数の認知から、この情報は読める文章として成立する。
一方で、後者の場合は視認性も低く、思考コストも高くなる。
そうなってしまえば、読まれる可能性も低くなるし、認知もし難い。
人は短期的に成果が得られるものを好む傾向があるから、思考コストの低い前者が重要な情報であると見做す。
その見做した情報が重要であるとは限らないし、各々が勝手に判断しているだけで虚像である場合も多い。

実際、商品パッケージの情報より、裏面の栄養価や原材料の方が判断材料として適しているし、広告における※印以降の小さい文字列が契約条件において重要である場合も多い。

ここに倫理が生じる。
ただし実務においては、情報の優先順位は必ずしも内容の重要度によって決まるわけではない。
多くの場合、事業上の要請や制約が優先される。
その結果、判断に必要な情報が読み取りにくい位置に配置されることも珍しくない。

規範は理解コストを下げる

デザインにおいて規範というのは、重要な扱いになる。
ここでの規範というのは、「大多数の人に説明無しに扱えるものを指す」と考えてもらっていい。
この規範の成立に至るまで、アクセス解析などのデータ収集や利用傾向など様々な要因から「より良くするため」形成されていき、それを日常で見るのが「当たり前」となったとき規範化する。
この規範化されたデザインは説明なしで機能する。
例えば、メニューが三本線で表現されていても多くは疑問に思わない。
検索のアイコンが虫眼鏡であったり、保存のアイコンがフロッピーディスクであっても意味は通じてしまう。
規範化されたデザインは、説明が不要な分、理解コストが低いため「使いやすい」と見做されるのである。
だが、規範化されていないものを採用する場合、説明が必要になってしまうし、「使いづらい」と見做されることも多々あるだろう。
そして、それを採用するにも責任が生じる。

多くの人にとって扱いやすいとされるデザインは、そういった規範化されたものを基礎として構築される。
だから、文字の大きさであったり、余白の大きさだったり、そういった初期値は規範化された数値の範疇で定め、その差異として見出しといったグループを構築していく。
規範化し、制度化されたデザインは、それを疑わない者にとって優しい装置として機能するのである。

余白は装飾ではなく境界

余白というのは、実際に何もないわけではない。
余白の役割は連続した要素に区切りを与えることである。
分かりやすく例えると、文字列「AB」が余白を与えることによって「A B」といった形で独立した記号となる。
この余白によって、どこからが文章の始まりで、どこで終わるのかが明確になっていく。
つまり、余白とは「何もない領域」ではなく、差を認知させるための装置になりうるのである。
この余白は関係性としての接合にも使える。
大きく開く余白は、章や節の区切りとして、小さな余白は見出しと文字列の区切りとして利用できる。

一方で、大きな余白に対して不安を覚える人も少なくない。
余白は未確定の領域としても知覚される。
そこに何かが追加される可能性を感じると、構造が確定していないように見えることがある。
何もないと見做される要素は、ときに何かを入れられる要素にもなり得る。
仮にこの余白が、区切りとしての役割であった場合において、徐々に機能が弱くなっていく。
だが、それ自体が悪いとは言い難い。

現に余白があることで不安を生じる者もいて、その不安が特定の行為可能性を排除してしまうと見做される場面があるならば、区切りを弱めることも正解になり得る。
これは業界や環境における生活様式にも依存する。

平面構成は書物的構造を引き継いでいる

Webの平面構成は、文書構造の影響を強く受けている。
DOM(Document Object Model)という名称が示すように、Webはもともと文書を構造化するための仕組みとして設計された。
多くの人は幼少期から書物に触れる。
絵本、教科書、図鑑、説明書など、文字や図が一定の秩序で配置された媒体を繰り返し読むことで、「上から下へ読み進める」「見出しから本文へと理解を進める」といった形式に慣れていく。
この経験は特別な訓練を必要とせず、自然な読み方として蓄積される。
Webにおける見出し、段落、余白、画像と文章の配置といった構成は、この読み方と整合しているため理解しやすい。
グリッドによる整列も同様で、要素の位置関係を把握しやすくする。
平面上に情報を配置する際、書物的な構造は現在でも有効な分節方法の一つとして機能している。

最初期のWebデザインというのは、CSSによる表現もJavaScriptを用いた操作も今ほど充足していなかった。
そのため、文字組みやレイアウトといった手法も独自の方向性に向かっていった。
多くの個人サイトが存在し、それらは今ほど定型化されておらず、見た目の方向性はバラバラであった。

だが、先にも述べた通り「データによる統計」が生じると、その規範が生成されていく。
規範化が進めば、それと同様に技術もまた延長として進化していく、CSSは拡張し角丸が付与できるようになり、JavaScriptは非同期通信が手軽にできるようになる。
こうした技術の発展は、多くの場合「より良いUXのため」という言葉で説明される。
今では、Webの平面表現は紙広告のようなレイアウト提供も容易に行えるようになったのである。

まとめ

本記事では、デザインを装飾や感性の問題としてではなく、情報を扱える単位へ区切る操作として捉えてきた。
人は連続したものをそのまま扱うことが難しいため、差異を設け、まとまりとして認知できる形に整理する必要がある。
見出しや段落、余白、グループといった要素は、その区切りを成立させるための手段である。
こうした区切り方は個人の判断だけで決まるものではなく、多くの場合は過去の利用や観察の蓄積によって共有される。
その結果として、説明を必要としない形式が生まれ、規範として扱われるようになる。
規範化された構成は理解コストを下げる一方で、どのように区切るかという選択の幅も同時に示している。
どの差異を強め、どの差異を弱めるかによって、情報の関係は変化する。

規範という言葉を冷たいと感じる人もいるだろう。
だが、その規範は日常のあらゆる場所に存在している。
成績表、健康診断、履歴書など、そういったものの評価でさえ、統計や累積されるデータによって「正常」が共有される。
そしてデザイナーは業務によって「正常」を作り続ける。

区切り方が変われば、見え方も変わる。
見え方が変われば、意味の捉え方も変わる。
良いデザインと呼ばれるものは、多くの場合、説明を必要としない。
違和感を持たれるデザインは、現在の規範から外れていることが多い。
ただ、それだけのことなのだ。