Web制作会社がブラックと言われる理由とは?

しかしブラックという言葉は、人によって指している内容が異なる。
労働時間の問題なのか、評価制度の問題なのか、業務構造の問題なのか。
これらを区別しないまま議論すると、実態が曖昧になる。
ブラックの定義
社会的に往々に言われるのが、長時間労働、休日が少ない、賃金が低い、契約が曖昧といったものだが、これ自体は主体の選択によって契約が生じ、その範囲内かつ、法的に準拠されているのであれば、ブラックではない。
低賃金 → 契約条件
長時間労働 → 契約条件または業務設計
サービス残業 → 違法行為
業務負荷 → 職種特性
意思決定構造 → 組織設計
これらは制作会社だからといって生じるものではない。
各々が結んだ契約に該当し、それ自体が違法出会った場合はブラックではなく法的にアウト
では、なぜ制作会社がブラックと呼ばれやすいのかを考える。
制作物からの疎外
制作物の所有権は基本的にクライアントに移る。
時間をかけて作ったものほど手元に残らない。
仕様変更、要望調整、予算制約において制作過程の自由度も制限される。
こういった状況が再現されることで判断権限まで失われる場合もある。
その結果において
- 何を作るか決められない
- どう作るか決められない
- なぜ作るか共有されない
制作という行為そのものが、単なる作業として主体が見做してしまう。
ここで心理的な負荷が増える。
成果物と自己同一性
資本主義の構造として労働の成果物は組織に帰属するというのは疎外の節で述べた。
これはどの業界でも同じ。
ただし、製造ラインの一工程、物流の一作業、事務処理の一単位といった業務では成果物と個人のアイデンティティが強く結びつくことは比較的少ない。
一方でWeb制作における個人の作業というのは、成果物に、判断、解釈、表現、構成といった要素が含まれる。
つまり、人格的要素が混ざりやすい。
ユーザーないし、顧客、上司などから受ける意見において、それが構造的な批判や否定、もしくは改善の案であっても、自己の否定に結びついてしまう危うさを含む。
制作は唯一解が存在しないことが多いから、消耗しやすい傾向にある。
別職種との認知の乖離
例えば営業との関係性において、それぞれが利己的な労働になってしまった場合において利害の相違が発生する可能性がある。
営業は関係を優先したい、受注を維持したい。
制作は要件を安定させたい、品質を維持したい。
といったものだ。
営業は短期的関係の維持、制作は中長期的整合性の維持を見やすいという構造において、各々が目的または手段の選定において十分な工期が得られない場合もある。
自分が選択しているのか、選択させられているのかの感覚の差。
これが蓄積すると負荷として認識されやすい。
意思決定と負荷の関係
制作における負荷は、必ずしも作業量の多さだけで決まるわけではない。
同じ作業時間であっても、自ら選択したと認識できる場合と、選択の余地がないと認識する場合では負荷の性質が異なる。
意思決定に関与できる範囲が狭いほど、制作行為は単なる処理として認識されやすくなる。
一方で、関与範囲が広い場合には、作業量が多くても納得感が生じやすい。
制作会社において負荷が高いと感じられる場面の多くは、作業量そのものよりも、意思決定の所在が不明瞭な場合に生じやすい。
- 誰が決めているのか分からない
- なぜその判断になったのか共有されない
- 変更の理由が構造的に説明されない
こういった状態では、制作は結果に対する責任を持ちながら、判断には関与できない状態になりやすい。
責任と裁量の分離は、職種に関係なく負荷として認識されやすい要因である。
制作会社がブラックと見做されやすい理由
制作会社は複数の意思決定主体の間に位置する。
発注者
利用者
営業
企画
運用
それぞれが異なる目的を持つため、判断基準が一つに固定されない。
評価基準が複数存在する状況では、どの基準に最適化すべきかが曖昧になる。
結果として、品質を優先すると納期に影響が出る、関係性を優先すると仕様が揺れる、効率を優先すると表現の自由度が下がるといった調整が常に発生する。
この調整自体は特別なものではないが、判断の優先順位が共有されていない場合、作業者側では「正解が存在しない状態」として認識されやすい。
正解がない状態が継続すると、評価基準を自分の外部に置くしかなくなる。
この状態が継続すると、制作行為は達成ではなく消耗として認識されやすくなる。
ブラックかどうかは職種では決まらない
制作会社が特別にブラックであるとは言い難い。
問題となるのは業種ではなく、意思決定構造と評価構造である。
例えば、意思決定の範囲が明確である、評価基準が共有されている、責任の所在が一致しているといった条件が揃っている場合、制作業務であっても過度な負荷にはなりにくい。
逆に判断基準が都度変化する、責任範囲が曖昧である、成果物の評価軸が共有されないといった状況では、どの職種であっても負荷は高くなる。
制作会社がブラックと呼ばれやすい背景には、制作という行為が複数の意思決定の交点に位置しているという構造がある。
まとめ
制作における負荷は、単純な労働時間や賃金だけでは測りにくい。
- 成果物に人格的要素が含まれること
- 判断に複数の主体が関与すること
- 成果物の帰属が個人に残らないこと
こうした条件が重なることで、制作行為が主体から切り離されたものとして認識されやすくなる。
制作会社がブラックと呼ばれる場面の多くは、業種そのものではなく、意思決定構造と評価構造の不整合によって生じている。



